人生の目的(法話:人間の実相) 目的の大切さ

人生、旅のごとし。

私たちはまた、時を旅する旅人です。

旅で一番大事なのは目的地。

人生またしかり、です。
ロシアの文豪トルストイは「人生論」にこう語っています。

 

人生とはなにか、人生の幸福とはなにかということを知りもしないのに、

こうした人たちは、自分がいっぱし生きているように、思っているのだ。

ぜんぜんなんのあてもなしに、波のまにまにただよっている人が、

ちゃんと目的地にむかって泳いでいるのと、ひとり決めにして思い込んで

いるようなものである。

          トルストイ「人生論」p56
親鸞会の友人も、人生の目的こそもっとも大事といっていますが、

まことそのとおりでと思います。

どこへいくかわからず、波のまにまにただよっていては、悲劇の終末を

待つだけ、でしょう。

Posted on 2月 8th, 2010 under 法話『仏説譬喩経』 | Comments: none | By oujouichiro

人生の目的(法話:人間の実相)

法話、人間の実相を連載しています。

人生は旅

人は、人生という時を旅する旅人(タイム・トラベラー)

といわれます。

旅で一番大事なのは、「目的地」と前回書きました。

人生における「目的地」について考えてみましょう。
どこへ向かって
   生きればよいのか

子供をニートやフリーターにしないようにと、
社会に出る前の学生を対象にした
講座が盛んに開かれています。

有名大学を卒業すれば、
就職には困らないだろうと、
子供にかける教育費は高くなり、
有名校への受験競争は激化しています。

ところが、東京大学が学生に行ったアンケートでは、
約三割が、自分がニートやフリーターになるおそれがある、
と感じているのです。

「人生の意義・目標」に悩んでいる人は六割にも上り、
漠然と「強い不安に襲われたことがある」学生も半数を超えています。

一流大学に入ったからといって、安心できるとはいえないようです。
正社員として就職し、不景気でもリストラされず、会社に残れた人たちも、
安心してはいられません。
正社員数の減少によって仕事の量が増加し、サービス残業を重ねて、
過労やうつ病になる人も少なくないからです。

どのような仕事についても、働いて生きていくのは、大変なこと。
生きるための苦闘は激しさを増すばかりです。
では、そうやって働いて、どこへ向かって生きれば、
心からの安心や満足が得られるのでしょうか。

その人生の目的について親鸞会では話がなされているようです。

Posted on 2月 1st, 2010 under 法話『仏説譬喩経』 | Comments: none | By oujouichiro

法話 人生は旅(一番大事なのは目的地)

旅をする時に、一番大事なものは何でしょう?

そう、「目的地」ですよね。
どこへ行くか目的地が間違っていれば、何万というお金を使っても
何十時間という時間をかけてでも、たどり着くことが出来ませんから。

人生も同じではないでしょうか?
一生懸命生きていても、その努力の矛先が間違っていたら、
ましてや正反対だったなら、がんばれば頑張るほど目的地から
遠のいてしまいます。

どうせ頑張るのなら、報われる苦労がしたいもの。
それにはまず人生の目的を正しく知ること、が大事ですよね。

もし地図があったり、道先案内人がいてくれるととても助かります。

「いや、地図や案内する人がいても、まだ目的地についてない
 のだから、そんなものは無意味だ」

という人があれば、おかしな人と皆思うでしょう。
ですから、人生の目的を教えてくれる本や人にめぐりあえるという
ことは、とてもとても幸せなことです。

いわゆる

「真実を知る者は幸福なり」

ですね☆

Posted on 12月 27th, 2009 under 法話『仏説譬喩経』 | Comments: none | By oujouichiro

法話 人生は旅(晴れの日もあり雨の日もある)

お釈迦さまはわたしたちのことを「旅人」と例えられました。

旅に出ると一カ所にとどまらないように、私たちは昨日から今日、今日から明日へと、
時間の旅をしています。

旅行中、晴天に恵まれる日もあれば、雨や風、雪に見舞われることもあります。

上り坂もあれば下り坂もあるでしょう。

人生も同じで、調子のいいことばかりでなく、悲しいことやつらいこと、
どん底に落ちる日もありますよね。
まさに

「じーんせい 楽ありゃ 苦もあるさー」(水戸黄門主題歌)

です☆
でも考えてみると、苦しいことの方が多いのかも知れませんね。

もともと「旅」とは辛いもの。

昔はよく「かわいい子には旅をさせよ」と言われました。

今日では「かわいい我が子に、楽しい旅をさせてあげよう」というような
意味でとらえられがちですが、本来の意味は

「かわいい子には、旅で苦労させることによって成長させなさい」

という意味ですよね。

そんなきつい人生の旅は、どこへ向かっての旅なのか、
これが問題になってきますよね。

また、問題になってこそ本当だと思います。

無意味な旅では、あまりにも・・・です。

Posted on 11月 27th, 2009 under 法話『仏説譬喩経』 | Comments: none | By oujouichiro

法話 人間の実相(人生は旅)

法話で聞いた「人間の実相」のたとえ話について書いています。

 

人生を旅する私たちは旅人、といわれます。

私たちは昨日から今日、今日から明日へと人生の旅を
続けています。

旅人はひとところに留まってはいませんよね。

「私は旅人です」

「へーどこから来なすった」

「いえ、30年、ここに住んでいます」
これでは旅人ではないですね。

旅人というのは、昨日の街から今日の街へ、そして明日の街へと
旅するものです。

同じように、私たちは時の旅を旅しています。
今日という日に止まることは出来ないのです。
世の中の
娘が嫁と 花咲いて
嬶としぼんで 婆と散りゆく
(一休)

女性のはかない一生を、花になぞらえた一休の狂歌です。
女性が、最良の「娘」時代を経、やがて嫁いで花と咲きます。
家庭に入るから「嫁」と書くのです。
子を産み、育ててゆくと、鼻が高くなり、花のしぼむ気配とともに「嬶」となると
言われます。。
年寄って、顔には皺の波が寄る。
周囲に諍いの波が立つともいわれる「婆」となり、やがて散りゆく死を迎える。

一生独身を貫く人、中途で散ってしまう人はありますが
女性に限らず万人が、一方通行の死への軌道を時々刻々と進んでいるのです。
そう考えると、人生って、死へ向かっての大行進なのでしょうか?
また時間をとって考えてみたいと思います。

Posted on 10月 28th, 2009 under 法話『仏説譬喩経』 | Comments: none | By oujouichiro

人生は幸福を求めての旅

法話で聞いた「人間の実相」のたとえ話

トルストイは「懺悔」という本に

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『東洋の寓話を読んで、大きな衝撃を受けた。』

 『これ以上、人間の姿を赤裸々に表した話はない。単なる作り話

  ではなく、誰でも納得のゆく真実だ。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と書いていますが、この《東洋の寓話》こそ、お釈迦様の仏説譬喩経の
『人間の実相』のお話なのです。

その内容について書いていますが、今一度、最初から振り返ってみたい
と思います。

まず登場するのは《旅人》です。

私たちは人生を旅する、旅人のようなもの。
そういえば銀河鉄道999のオープニング曲にもこう歌われています。
 人は誰でも、幸せ探す旅人のようなモノ
 希望の星に巡り会うまで、歩き続けるだろう…

 きっといつかは君も出会うさ
 青い小鳥に

 

同じ999にこんな歌詞もあります。
◆人生の停車駅

 人は誰でも 希望という汽車に乗り
 幸せ探して 出発(たびだつ)のです
 雨にうたれ 坂道のぼり 孤独なランナーのように
 走り続けるのです

 だけどどこかで つまづくことがあったら
 やすらぎという駅で とまりなさい

 きっとそこで あなたは やさしい友達に
 出会うでしょう

  人生の停車駅 │ MoJo の歌詞 by 歌詞タイム
   http://www.kasi-time.com/item-36498.html
人生は、幸せを求めての旅、納得です。

そしてそれは、孤独なたびなのかもしれませんね。
雨にうたれるような日もあれば、坂道もある。

そんな旅の終着駅はどこでしょう?
考えてみれあば、どこを目指して旅をするか、一番大事なのは
目的地なのに、人生という旅に、目的地を持たない人はとても
多いように感じるのは気のせいでしょうか??

Posted on 9月 29th, 2009 under 法話『仏説譬喩経』 | Comments: none | By oujouichiro

人生の目的

親鸞会の会館で、お釈迦様の法話を聞いてその内容や感じたことなどを書いているサイトです。
以前までは、法話の内容をお話してきました。

すべての人は、いつ深海の上で、いつ切れるか分からない藤蔓にぶら下がっているようなものだと聞かせてもらいました。
こんな状態で五欲の蜂蜜を舐めていても、心からの安心も満足もあるはずがありません。この一大事を生死の一大事(しょうじのいちだいじ)と仏教ではいわれます。

そして生死の一大事の解決が出来て初めて人間に生まれて良かったの喜びの心となるのです。
私たちは苦しむために生まれてきたのでもなければ生きているのでもありません。
よくぞ人間に生まれたものぞの生命の歓喜あふれる身になるために生まれてきたのだと教えてもらいました。
これがまさに「人生の目的」です。

仏教は、「人生の目的」は「生死の一大事の解決」であると、その目的を教え、また、それを「解決する方法」を教えているのです。
そして、そのお釈迦様の説かれた仏教を正確に人々に伝えた人が何を隠そう親鸞聖人なのです。
親鸞聖人の教えられたことはお釈迦様の教え以外のなにものでもありません。

親鸞聖人は、生きているときに生死の一大事の解決をすることが出来ると教えられ、人生の目的が知らされるとともに生きがいを感じられるようになりました。
死んでから解決するのではなく、生きている今こそはっきりと人生の目的を達成する事が出来ると教えていかれたのだと聞いて感動しました。

Posted on 7月 6th, 2009 under 法話とは | Comments: none | By oujouichiro

人間の実相

今まで数回にわたってお釈迦様が説かれた法話に基づき、人間の実相を考えてきました。

このお釈迦様の法話を聞いて感じたことが人間の実相を聞けてほんとうによかったと思ったこと。
そして人間の心の中には本当にいろんなものがひそんでいるのだということを強く感じることができました。
これは他人の事ばかりいうのではなく、自分自身の心の中にも三毒の龍がいることに気付きましたし、五欲の蜂蜜にばかり心奪われていると反省させられました。

自分が楽をしたいからという気持ちで、寂しくてただ抱いてほしいだけの子供を頭ごなしに叱ったり、ショッピングに出かけお金がなくても欲しいものがあればカードを使ってまで購入しようとしたり、人の蔭口ばかり叩いていてみたり、そんなのは人間だから当然だと、自分でどこか正当化しているようなところもあり・・・・
本当にあさましい人間だとつくづく感じました。

私、こんな性格のまま死んだらどうなるのでしょうか?
今まで、どうやって生活するかとかどうしたら楽をすることができるかといった事ばかりに一生懸命になってしまって、心は悪の作り通しだったのにそれさえも気付かなかった・・・・。

「火の車 造る大工はなけれども 己が造りて 己が乗りゆく」

誰のせいでもない、自分の蒔いた種によって、その報いを自分が受けていかねば
ならないのだと分かり案舌。
お釈迦様の法話に触れることが出来て本当によかったと思います。
そして、そんな法話に触れる機会を与えてくれた親鸞会の友人に感謝したいと思います。

Posted on 6月 27th, 2009 under 法話とは | Comments: none | By oujouichiro

法話『仏説譬喩経』 ⑦

お釈迦様の法話もそろそろ終わりに近づいてきました。
前回は、煩悩についてお話してきましたが最近ではこの煩悩に支配されてしまった人たちが心の病にかかってしまうということがあります。

この法話を親鸞会の法話会で聞くことができました。
心の病に苦しむ人は、生きがいを見失っているのでしょうが、その根底に、生きる意味、命の尊さが失われているところに大きな問題があると、その時親鸞会の方からお聞きしました。

さて、お釈迦様の法話に戻りたいと思うのですが法話の最後に登場した蜜蜂。
これは、人間の五欲の一瞬の官能的快楽を貪って耽溺し、脚下に燃え上がる危険の一切を忘れていることをたとえられたものです。
食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲のことを「五欲」といいます。
簡単に説明しましょう。

食欲
おいしい食べ物が食べたい、飲みたいという欲

財欲
一円でも多くお金が欲しいと思う欲

色欲
素敵な異性と出会いたいという欲

名誉欲
人からよく言われたい、悪く言われたくないという欲

睡眠欲
少しでも多く寝ておりたい、楽がしたいという欲

私たち人間は、朝から晩までこの五欲をどうしたら満たすことができるか?そんなことばかり考えているのではないでしょうか?

人生は儚いものです。
名誉や財産、愛欲に振り回されているうちに自分の一生涯が終わってしまうかもしれません。
人は、蜂蜜を舐めきって一生を終えるわけではありません。
蜂蜜舐め舐めしているまま、藤蔓が寸断され、深さの知れない海へと落ちていかねばならないのです。

どうして人は足下に起こる一大事に気がつかないのでしょう、そして自己の立場を凝視しないのでしょうか?
仏法を聞く出発点はこの一大事の自覚が大切だと聞かせて頂きました。

Posted on 6月 6th, 2009 under 法話『仏説譬喩経』 | Comments: none | By oujouichiro

法話『仏説譬喩経』 ⑥

お釈迦様の法話ついて調べているのですが、初めてお話する法話の仏説譬喩経がこんなに長くなるとは想像していなかった私。
人間の実相についての法話なのですが、奥が深く簡単に一言では言い表すことができません。

この法話に出てきた三匹の毒竜について今回はお話しようと思います。

仏教では私たちを煩わせ悩ませるものを「煩悩」と言います。
この煩悩は百八あるといわれており、その中でも特に恐ろしい煩悩のことを「三毒の煩悩」と呼ばれています。
この三つとは貪欲・瞋恚・愚痴です。

この三つの煩悩を三匹の毒竜として例えられました。
以下、順に説明しましょう。

「貪欲」

無ければ無いで欲しい、有れば有るでもっと欲しいときりがない欲のことをいいます。
満足することなく、深さが知れない海の色で表され、青い竜に例えられています。

「瞋恚」

これは怒りの心のことをいいます。
欲を妨げ出てくるのが怒りです。
心の上に奴と書くことから、こいつさえいなければ・あいつさえいなければと、心のまな板の上で都合の悪い相手を切り刻む心です。

問答無用で邪魔者は消せという真っ赤になるから火のようで、みずからの教養も学問も火中に投げて、あたりかまわず焼き払うので、炎の色、赤でたとえられたのが「瞋恚」の心です。
蠍を見たときのような恐ろしい心だと親鸞聖人はおっしゃっておられます。

今日では「むかつく」という言葉でも言われますが、この心からいじめが起きたり、いじめの体験をする子供が多くなってくるのだと思います。そしてその結果自殺を考える人が増え、自殺サイトがあとを絶たないのではないでしょうか?

「愚痴」
黒い竜は愚痴を表現しています。
「愚」は愚か、馬鹿、「痴」も知恵が病気にかかっているという字で、馬鹿という意味です。
蒔かぬタネは生えぬ。刈りとらねばならぬ一切のものは自分のまいたものばかり。その因果の道理が分からない心のことを表しているのが黒い竜です。

「近ごろは悪しくなりにけり 隣に倉が建ちしよりのち」という言葉がありますが、これは愚痴から起こる悲しいネタミでしょう。
自分は不幸続きでイライラしているのに、隣には立派な家が建ったりすると、人の不幸を祈る心が出てくる始末。
妬みやそねみのいやらしさや恐ろしさは我ながらゾッとするものです。
ちょうどヘビやサソリ見たときのようなゾッとする心だと親鸞聖人は嘆いています。

「悪性さらに止めがたし
心は蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり」
(親鸞聖人)

Posted on 5月 28th, 2009 under 法話『仏説譬喩経』 | Comments: none | By oujouichiro